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ディスカウント19

人生態度とディスカウント(値引き)についてまとめます。

第1の立場

「I am OK, You are OK(私もあなたもOKである)(自己肯定・他者肯定)」の人生態度です。
この立場に居る時は、自分・他者へのディスカウント(値引き)はありません。
安心感と信頼感、充足感に満ち溢れ、他者とも心を開いて真っすぐに向き合うことが出来ます。
ただし、状況をディスカウント(値引き)すると、そこから、自分・他者のディスカウント(値引き)がある他の立場に移行することがありますので、気をつけてください。

第2の立場

「I am Not-OK, You are OK(私はOKでない、あなたはOKである)(自己否定・他者肯定)」の人生態度です。
この立場に居る時には、自分をディスカウント(値引き)しています。
不安や劣等感などの感情に苛まれ、他者との交流を回避する傾向があります。
多くの場合、状況のディスカウント(値引き)も伴っています。
自分は自分が思っているより価値がある、ということを、自分に言い聞かせていきましょう。
また状況をディスカウント(値引き)していないかチェックすることも、自分へのディスカウント(値引き)からの脱却に役立ちます。

第3の立場

「I am OK, You are Not-OK(私はOKである、あなたはOKでない)(自己肯定・他者否定)」の人生態度です。
この立場に居る時には、他者をディスカウント(値引き)しています。
イライラや義務感などの感情を持ち、他者を非難したり支配したりする傾向があります。
また、深層部分では、「I am Not-OK(自己否定)」も持っていますので、自分をディスカウント(値引き)しているとも言えます。
多くの場合、状況のディスカウント(値引き)も伴っています。
イライラや義務感を感じたら、一呼吸おいて、状況をディスカウント(値引き)せず見渡すことから、始めてください。

第4の立場

「I am Not-OK, You are Not-OK(私もあなたもOKでない)(自己否定・他者否定)」の人生態度です。
この立場に居る時には、自分も他者もディスカウント(値引き)しています。
絶望感や虚無感などの感情に支配され、自暴自棄になったり他者との交流を拒絶したりしてしまいます。
ほとんどの場合、状況のディスカウント(値引き)も伴っています。
自分と他者へのディスカウント(値引き)には、深い背景と歴史があると思われます。
まずは、絶望感や虚無感などの感情をそのまま横に置いたまま、状況をディスカウント(値引き)せずに見つめることを、お勧めします。
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[ 2017/10/30 09:32 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)

ディスカウント18

親の意図を汲み取り自分の中に組み入れる・・・
こんなことが出来る子どもって、なんて能力が高いのでしょう!!

自分をディスカウント(値引き)しているときは、「I am Not-OK(私はOKでない)」の人生態度に居るときです。
また、おそらく、ラケット感情禁止令ドライバーなどに苦しんでいることでしょう。
そして、そのことで更に、自分を責め、ディスカウント(値引き)していることでしょう。

でも、原点に帰って考えてみてください。
幼いあなたが、親の愛を失わずに生き抜くために、親の意図を自分の中に組み入れて自分を作ってきたことは、その中に現在のあなたを苦しめるラケット感情や禁止令・ドライバーが含まれるにしても、なんとも凄いことをやってのけてきた、と言えるのです。

あなたは、なんて賢く、適応力に富み、生き抜く力を持っている、「OK」な人なのでしょう!!

[ 2017/10/27 08:25 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)

ディスカウント17

昨日ロジャーズの引用をしながら、交流分析のラケット感情人生脚本のことを思い浮かべていました。

子どもにとって、親など周囲の親密な対象から愛されるということが、いかに大きいものなのかということを、改めて考えさせられます。

親などに愛されることが重大であるために、子どもは、自分の現実の経験よりも、親などの意図を優先して、自分や環境についての概念を形成していく。その過程で、親の意図に沿わないと子どもが察した経験は、無視されるようになる。また、本来は親の意図であるものを、自分自身のものとして歪んで知覚するようになる。

ラケット感情も、実際に感じていた「本物の感情」が親などの意図に沿わないと子どもが察して封じ込め、親などの意図に沿うと子どもが感じた感情を代わりに感じ表出するようになった、というものでした。

インジャンクション(禁止令)は、言葉をまだ理解しないうちから、親の態度などを手掛かりに、非言語的に、自分は「~であってはいけないのだ」「~してはいけないのだ」と子どもが感じたものを、無意識のうちに自分自身の中に取り込み、成人してからも抱きつづけるものでした。

カウンターインジャンクション(拮抗禁止令)や、その中で特に有害とされるドライバーも、親の教育的意図を、自覚しないまま自分自身の意図として受け継いだものでした。

現実に自分自身が感じているもの、経験しているものが、作り上げた概念に適合しないときには、無視されたり軽視されたりする(ディスカウントされる)。その結果、心理的不適応や生きづらさが生じてくる。
本当は「怒って」いるのに、ラケット感情を意識し「怒り」を意識しないことによって、心理的症状が出たり問題が生じたりする。
現実として「上手くやれた」のに、「重要であるな」の禁止令に従う自己概念に合わないために、その事実を無視したり、「たいしたことではない」と価値を薄めたりして、いつまでも自信が持てない。等々。

現実に、自分自身が感じているもの、経験しているものを、脅威なしに意識できるようになることが、心理的健康や幸せ感の回復に必要なのだと、改めて感じました。
[ 2017/10/24 12:42 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)

ディスカウント16

ロジャーズは、パーソナリティの形成について、次のように述べています(抜粋・引用『パースナリティと行動についての一理論』(カール・R・ロジャーズ著 友田不二男訳 全日本カウンセリング協議会出版部)。

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9)環境との相互作用の結果として、とくに、他人との評価的な相互作用の結果として、自己の構造(the structure of self)がー「わたくしは」もしくは「わたくしに(を)」の特質や関係についての知覚の、体制化された、流動的な、しかし首尾一貫している概念形式(conceptual pattern)が、これらの諸概念に結びつけられている諸価値とともにー形成される。

10)いろいろの経験に結びつけられている諸価値や、自己構造(the self structure)の一部である諸価値は、ある場合は有機体によって直接的に経験される諸価値であり、ある場合には他人から投射され(introject)もしくは受けつがれるが、しかし、あたかも直接的に経験されたかのように歪めたかたちで知覚されるものである。

(中略)幼児は、自分の環境と相互作用するにつれて、自分自身についての、環境についての、および、環境と関係している自分自身についての概念を、次第につくり上げる。(中略)
きわめて幼い幼児は、価値づけることにほとんどあいまいさをもたない。「私は経験する」という意識のきざしがあらわれると同時に、「私は好き」「私は嫌い」という意識も生まれてくる。幼児はわれわれが使用しているような言語的な記号をもってはいないけれども、「私は寒い、そしてわたしは寒いのはいやだ」、「私はだっこされている、そして私はだっこされるのは好きだ」(中略)というようないい方は、幼児の経験を適切に記述しているようである。(中略)
他人による自己の評価が、まもなくこの構図に入り込む。「お前はよい子だね」、「お前はなんて馬鹿なんだ」、というような種類の、両親や他のひとびとによる、幼児自身や幼児の行動についての評価は、幼児の知覚の場の、大きな、しかも重要な部分を形成するようになる。(中略)
この発達段階において、経験を歪曲するようなタイプの象徴化や、経験を意識しないようにすることが生起するようである。このようなことは、将来、心理的不適応(psychological maladjustment)を発展させる上に重要な意味をもっている。(中略)
普通の子どもの自己経験(self-experience)の、最初の、しかもきわめて重要な様相の一つは、子どもが、その両親に愛されるということである。子どもは、自分自身をば、愛らしい、すなわち、愛に値するものとして知覚し、また、両親と自分との関係をば、愛情の関係として知覚する。子どもは、この知覚をことごとく、満足をもって経験する。これは、自己の構造が形成されはじめるときの重要な、しかも核心的な要素なのである。
ちょうどこの時期に、子どもは、別のし方で、肯定的な感覚的価値(positive sensory values)を経験しており、すなわち、強化を経験している。生理的な緊張を経験する場合、時や所をかまわずにお腹の通じをつけることは気持ちのよいものである。弟妹を打ったり、のけものにしておこうとすることは、満足のゆくことであり、強化的なものである。このようなことが、当初に経験されるので、かならずしもそれらは、愛らしい人間であるという自己の概念と矛盾しないのである。
しかしながら、次いで、このように図式化された幼児に、自己への重大な脅威が訪れる。幼児は、これらの満足していた行動に関する両親のいろいろの言葉や行為を経験する。しかもそれらの言葉や行為には、「お前は悪い子である、そういう行動は悪い行動である、だから、このようなやり方で行動するときには、お前は愛されないし、愛らしくもない」という気持ちがつけ加えられている。これは、初期の自己構造にとって深い脅威を構成する。幼児のジレンマは、次のような言葉で図式化されるであろう。すなわち、「もしも私が、これらの行動の満足や、これらの経験のなかに認める諸価値を意識することを許すならば、そのときには、愛されるとか愛らしいとかいうわたくしの自己と矛盾するのである」と。
普通の子どもの発達の場合には、次いで、なんらかのいろいろな結果が起こってくる。一つの結果は、経験された満足を意識できないようにすることである。今一つは、両親についての経験の象徴化を歪曲することである。その正確な象徴化は次のようなものであろう。すなわち、「私は両親をば、この行動を、不満足なものと経験しているものとして知覚する」と。脅威された自己の概念を擁護するために歪曲されるところの、その歪曲された象徴化は、「私は、このような行動は不満足であると知覚する」である。
このようにして両親の態度は、ただたんに子どものなかに投射されるばかりでなく、はるかに重要なことは、それが自分以外の人の態度としてではなく、歪曲されたやり方で、あたかも明らかにその人自身の感官的・内臓的装置に基礎づけられているかのように、経験されるということである。(中略)
このようにして、幼児が経験に結びつける諸価値は、幼児自身の有機体の機能から分離するようになり、経験は、両親もしくはその幼児と親密な関係にあるその他のひとびとによって保持されている態度によって、価値づけられるのである。これらの諸価値は、直接的な経験と結びついている諸価値とまったく同じような「真実さ(real)」となって受け入れられるようになる。感官的・内臓的証拠をば、すでに現存している構造に適合するように歪曲するというこの基盤の上に形成される「自己」は、その個人が維持しようと努力する体制と統合を獲得する。(中略)原初的な感官的・内臓的反応は、無視されるか、さもなければ、歪曲された形式でなければ意識にのぼることを許されない。それら(原初的な感官的・内臓的反応)の上にうちたてられたる諸価値は、意識されるわけにはゆかないのである。(中略)
これらの二重の起源ーその個人によって直接的に経験されることと、あたかも経験されたかのようにいろいろの価値や概念を投射するという結果をもたらす感官的反応の歪曲された象徴化ーから、自己の構造(the structure of self)が育成する。(中略)自己構造は、意識にのぼるのを承認することのできる自己の知覚の体制化された形態(organized configuration)である。それは、たとえば、その人の特性や能力についての知覚、他のひとびとや環境との関係における自己の知覚や概念、いろいろの経験や対象と結びついたものとして知覚される価値の特質、および、肯定的もしくは否定的な誘意性(valence)をもつものとして知覚される目標や理想、というような諸要素から成りたっている。さらにまた、それは、あるいは図形として、あるいは素地として意識に存在している、自己および関係のなかの自己(the self-in-relationship)の体制化された構図(organized picture)であり、過去、現在、もしくは未来に存在すると知覚されるような特質や関係と結びついている、肯定的もしくは否定的な諸価値をともなうものなのである。
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[ 2017/10/23 10:23 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

戻ってきました

ご無沙汰しております。
昨夜、大阪の仕事を終えて姫路に戻ってまいりました。

不在の間も当ブログにご訪問いただき、ありがとうございました。
私の方からも、訪問履歴を残して下さっている皆様のブログへ、これからご訪問させていただきますね。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
[ 2017/10/20 15:28 ] 未分類 | TB(0) | CM(3)

休業日のお知らせ

いつもありがとうございます。

明日10月12日(木)~19日(木)、外部機関(大阪)でのカウンセリングと家庭の事情により、勝手ながらお休みさせていただきます。
メール・ブログのお返事は、20日(金)以降順次させていただきます。
ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

姫路は今日はとても暑いです。
気候不順の折、どうぞ御身ご自愛くださいませ。
[ 2017/10/11 12:23 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)

ディスカウント15

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(11)いろいろの経験が個人の生活において生起すると、それらの経験は、(a)なんらかの自己との関係へと象徴化され、知覚され、体制化されるか、(b)自己構造との関係が全然知覚されないので無視されるか、(c)その経験が自己の構造と矛盾するので、象徴を拒否されるか、もしくは、歪曲された象徴化を与えられるか、のいずれかである。

はじめに、自己構造とは関係がないので無視されるような経験を見てみよう。今、遠いところで、さまざまの騒音がつづいている。それらの騒音は、今、一つの例にしようという私の知的な要求に役立つまでは、私はそれらの騒音には比較的気づかない。それらの騒音は、私の現象の場の素地には存在しているが、しかし、私の自己概念を補強もしないし、あるいは相反するものでもなく、自己と関連するなんらかの必要とも結びつかず、無視されるのである。(中略)
もっと重要なある一群の経験は、自己の要求と結びつくので、あるいは、自己構造と首尾一貫しており、したがって、自己構造を補強するので、自己構造と結びつくように意識へと受け容れられて体制化されるような経験である。「私は、自分が、他のひとびとのように社会においてちゃんとやってゆけるって気がちっともしませんの」という自己概念をもっているクライエントは、学業もできが悪いし、何かをしようとすると失敗するし、普通に反応しないし、などというような知覚をもっている。彼女は、自分自身についての自分の概念に適合するような経験を、たくさんの自分の感官的経験から選び出す。(その後、彼女の自己概念が変化すると、彼女は、自分は新しい計画を立派にやってのけた、自分は十分普通にやっている、と知覚する。)
同じようにして、数限りないいろいろの経験が、自己の要求と結びつけられるので、象徴化される。私は一冊の本に気づく。というのは、その本は、私が学びたいと思っている話題についての本だからである。私は、自分でネクタイを買おうとしているときには、いろいろのネクタイを知覚する。(中略)
われわれの綿密な注意を必要とするのは、感官的・内臓的経験の第三群であり、すなわち意識にのぼることを妨げられているように思われる経験である。(中略)先に引用したクライエントは、その自己概念が非常に否定的であったが、次のように報告する。すなわち、「周囲のひとびとが、私は頭がいいと思う、なんていったって、私はそんなことを全然信じられないわ。私全然ーきっと私、そんなこと信じたくないのね。なぜ信じたくないのかわかりませんけどーきっと信じたくないんだわ。信じれば自信がつくんでしょうけど、でもだめね。そういう人たち、それこそほんとうにわかってなんかいないと思うわ」と。この場合、彼女は、だれかが彼女をけなすのを容易に知覚して受け容れることができる。なぜならば、それは彼女の自己概念に適合するからである。しかしながら、相反する評価は、たとえば、他のひとびとはほんとうに彼女を知ることができないのだというような、他の知覚を選択して強調することにより、拒否されるのである。このようなタイプの、多かれ少なかれ意識的な知覚の拒否は、たしかにだれにでもしばしば生起するのである。(後略)
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以上、『パースナリティと行動についての一理論』(カール・R・ロジャーズ著 友田不二男訳 全日本カウンセリング協議会出版部)より抜粋・引用させていただきました。

[ 2017/10/10 09:44 ] 未分類 | TB(0) | CM(1)

ディスカウント14

ロジャーズのパーソナリティ理論はとても奥深いので、機を改めてお話ししますが、交流分析のディスカウント(値引き)と特に関係があると思われるところだけを、数回に分けて、極々簡単にご紹介したいと思います。

以下、『パースナリティと行動についての一理論』(カール・R・ロジャーズ著 友田不二男訳 全日本カウンセリング協議会出版部/原典は『ロージャズ全集(岩崎学術出版社)』)から、抜粋・引用します。

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(1)個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界(world of experience)に存在する。

この私的世界(private world)は、現象の場(phenomental feild)とか経験の場(experienceworld)とか呼ばれ、あるいは他のいろいろの用語で記述される。それは、有機体によって経験されるものすべてーそれらの経験が意識的に知覚されようとされまいとーを包含する。したがって、わたくしが坐っている椅子がわたくしの尻に与えている圧力は、わたくしが一時間経験している何かであるが、しかし、わたくしがそれについて考えかつ記述するときにのみ、その経験についての象徴(symbolization)が意識にのぼるようになる。(中略)
この個人の経験の私的世界においては、その経験のほんの一部分だけが、しかもおそらくは非常に小さい部分だけが、意識的に経験されるということを認識すべきであろう。(中略)
しかしながら、またこの経験の世界の大部分は、意識化させることができるのであって、もしも個人の要求が、ある感覚をはっきりするようにしようとするならば、それらの感覚は要求の充足と結びつくので意識されるようになる、ということも真実である。換言すれば、個人の経験の大半は、知覚の場(perceptual field)の素地(ground)を構成するが、しかしそれは、容易に図形(figure)となりうるのであって、その場合には他のいろいろの経験は素地へとすべり込むのである。(後略)
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噛み砕いて言うと、私たちが有機体(生身の生き物)として身体全体で経験していることは、たくさんあるけれども、意識化されるのは、そのうちの、意識化したいと思うものだけであり、それ以外のものは意識化されない、ということです。
ちなみに、「素地(地)」というのは、知覚心理学で、「図形(図)」の背景となって特に認識されない部分のこと、「図形(図)」は認識される部分のこと、を言います。

交流分析のディスカウント(値引き)も、経験している色々なことの全てを見ているのではなかったですね。ものによって、選択的に、見たり見なかったりしていました。

また、この命題(1)の後段は、今回は引用しての紹介はしませんが、カウンセラーとして決して忘れてはいけないことが書かれていると思います。
それは、私的世界で経験していることをそのまま知ることが出来る可能性があるのは、それを経験しているその人本人以外にない、ということです。
カウンセラーの方がクライエントよりクライエントのことを良く見えている、わかっている、と傲慢な錯覚に陥る危険についての戒めだと思っています。
カウンセラーがクライエントをディスカウント(値引き)することは避けたいですね。


[ 2017/10/06 12:16 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)

ディスカウント13

「うちの子は、ゲームばっかりして、全然勉強しない」と思い悩んでいるお母さんの目に留まるのは、ゲームをしている子どもの姿。
子どもが勉強しているところは、目に留まらないか、目に留まっても、「たまたま勉強しているだけ」「15分間の勉強なんて、勉強のうちに入らない」などと、その価値をディスカウント(値引き)してしまいます。

そう、以前お話しした確証バイアスですね。

確証バイアスは、自分自身についても生じます。

「どうせ、私は、何をやってもダメなんだ」と思っているとき、意識に上るのは、何かをして上手くいかなかったときのこと。
上手くやれたときのことは、意識に上らないか、上ったとしても、「たまたま」「まぐれで」「あんなことは上手くやれたうちに入らない」「あんなことは誰にだってできること」などと、その価値をディスカウント(値引き)してしまいます。

似たようなことを、クライエント中心療法・パーソンセンタードアプローチのロジャーズも言っているのですが、それはまた次回からお話しします。
[ 2017/10/04 11:22 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ディスカウント12

「私なんか、生まれてきてはいけなかったんだ」
「私はとても太っていて醜いので、決して誰にも好かれない」
「どうあがいても、私には問題を解決することはできません」
「どうせ、私は、何をやってもダメなんだ」

もしこんな言葉が、口をついて出たり脳裏に浮かんだりしたら、おそらく、あなたは、「自分をディスカウント(値引き)」しています。

自分をディスカウント(値引き)するというのは、自分自身のこと(存在、容姿、能力、可能性など)を実際よりも低く見積もったり無視したりすることです。

自分をディスカウント(値引き)してしまうのは、これまでにとてもつらい経験をされてきたからなのでしょう。
「これは真実です」と、自分をディスカウント(値引き)しているということすら、否定される方も多くいらっしゃいます。

けれど、いつまでも、自分をディスカウント(値引き)し続ける必要はありません。
自分自身を、もっと客観的に眺めることができるのだ、ということを、まず知ってください。
[ 2017/10/03 10:29 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

坂田カウンセリングオフィス(坂田和代)

Author:坂田カウンセリングオフィス(坂田和代)
東京・大阪でのメンタルクリニック・専門学校相談室・NPOカウンセリングルームのカウンセラーを経て、2016年4月兵庫県姫路市で「坂田カウンセリングオフィス」を開業しました。文明の利器にはめっぽう弱いというセルフイメージに打克つべくブログを始めました。よろしくお願いします。



ホームページはこちらです⇒http://sakatacounsel.web.fc2.com/          (右側「リンク」から入れます)

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